3万円もした怪しくて仕方のない電話鑑定のおばさんに
鑑定しょっぱなから8年付き合い続けた彼と別れなさいと告げられ
途端に不機嫌になったあの時のわたし。
腹の底から怒りが込み上げてきた。
しかし2週間後の朝、ベッドの中で目を覚ましたわたしは全身で理解していた。
「ちゃんと聞こう、自分の気持ちを伝えよう、行動しよう」
迷いは少しもなかった。
気が付けば早朝彼のマンションのドアの前に立っていた。
揺ぎない気持ちと一緒に罪悪感に襲われていた。
ふたりの未来について話した。想像通り曖昧な答えしか返ってこなかった。
胸の奥のどこかで、既に知っていた結末が現実になったことに
泣いて泣いて泣いて、彼と別れた。
別れた後も、本当にこれでよかったのか、と泣き続けた。
電話鑑定のおばさんに言われた「別れなさい」という言葉に
なぜあんなにも腹を立てたのか。
それは頂いた言葉こそ
一生懸命に封印していた自分の気持ちだったから。
本心は別れたかった。では何がわたしをひきとめていたのか。
罪悪感、だった。
彼は体の弱い人だった、心も弱い人だった。
今のわたしならば容赦なくこれは貴方の課題ねって線引きでるけれども
あの時のわたしには「別れる」=「見捨てる」という罪悪感が付きまとった。
別れたらこの人は独りになる。
そう信じることで自分の存在価値をも認識していた。
今思えばお互いに依存関係だった。
こどもの頃からわたしには人の本音と建前がわかる能力があった。
あぁこの人言葉と逆の気持ちだ、そう感じ取ると、言葉にならない気持ちを
サポートするほうにまわった。
誰も気が付かない友達の心の叫びをわたしは拾えた。
言葉にしない感情に寄り添うので、相手はとても喜んでくれた。
家族に対してもそうやって接してきた。
学校では心の闇を聞きつけては、こっそりその声の主に近づいて
仲良くなっては話を聞いたりした。
最初は間違いなく「愛」からはじまったこの独特なコミュニケーション。
どこからかオカシクなっていった。
相手の声を聴くために自分の感情をおさえつけるようになっていった。
相手のニーズに応えるには時に自分の気持ちが邪魔になったからだ。
そのうちに自分というものがわからなくなっていき
そしてわたしはこの能力を封印した。
小学生のわたしは、そうすれば全て解決すると思っていた。
人は何のために生きるのか、人の幸福とは何か、考え始めたのはこの頃からだ。
小学校の図書室の哲学書を読みあさった。