明けましておめでとうございます。
浦和区北浦和にありますフラダンス教室HulaMiholokahi代表の池町みほろです。
HulaMiholokahiは現在ピンク色の可愛いスタジオですが、2年とちょっと前までここには祖父母の古い家が建っていました。
祖父ははやくに亡くなり、祖母は大切な家族の想い出とともに長いことひとりでこの土地に暮らしていました。
祖母は男勝りな一面がある一方で乙女心も忘れない可愛らしい女性でした。
わたしがHulaの道に進むと決めたのは今から10数年ほど前、大学3年生のこと。
名前の知れた大学にいたこともあり、会社員が当たり前の両親はまさか娘の口から「フラの道に進む!」なんて言葉が出てくるとは思ってもみなかったことでしょう。
その後何年にも渡る衝突がありました。笑
その間も、ずっとわたしを支え続けてくれたのは今は亡き祖母でした。
アルバイトをしながら節約生活をして、フラを学ぶ為のお金と時間を作り、ただ興味のままに学び続けました。
先の見えないハードな毎日を10年ほどおくりました。
ハードな生活がたたったのか、28歳のわたしは脳腫瘍で死ぬところでした。
ドクターには「1週間以内に死んでもおかしくない状態だ」と言われました。
しかし幸運にも、手術をして、あれから4年、今も生きていられています。
感謝です。
退院後は手足が不自由でしたので、空き家となっていた祖母の家で大好きな彼女の遺品整理をすると決め、都内から北浦和の地に移り住むことにしました。
リビングのスペースでフラを教え始めました。
祖母とわたしは特別仲が良かったので天国で祖母は喜んでくれていると信じて、体調の悪い日も前を向いて進みました。
そのうちにご近所さんからこんなことを耳にします。
「おばあちゃんはみーちゃんのことが大好きだったわよね、いつもみーちゃんみーちゃんってあなたの話をしていたわ。みーちゃんがフラダンスの先生になったらスタジオを買ってあげたいから貯金しなきゃっておばあちゃん一生懸命お金を貯めていたのよ。」
それを聞いたわたしの頬には涙がつたっていました。
遺品整理が終わってしばらくすると、両親から夫婦でこの地に住んではどうかと提案があり、古き良き祖父母の家は今のこのピンクのスタジオとなりました。
わたしとおばあちゃんの夢は同時に叶ったのです。
でもこれは小さなスタートにすぎなかった、と今は思っています。
祖父母、両親から譲って頂いたこの土地で、わたしは数え切れないほどの幸せな体験をすることになるのです。
プライベートでは男の子を授かり、フラ教室では喜びをわかち合う沢山の家族のような仲間が出来ました。
祖母は天国へ行ってからも度々わたしに大きなプレゼントを与えてくれます。
愛は永遠とはこのことなのでしょうか。
彼女が生きていた頃よりも、彼女からの深い愛を感じているから不思議です。
これからも、わたしはこの場所を大切にしていきたい。
ここで、ご先祖様たちに恥じない生き方をしていきたい。
大好きな人たちと笑い合う場所にしたい。
そう思っています。
2020年もHulaMiholokahiは笑顔溢れるパワースポットであれますように♡
素晴らしい新たな出逢いがありますように。
既に頂いた宝物のような大切なご縁を深めていけますように。
HulaMiholokahiブログの記念すべき最初の投稿は全ての始まりである祖母のことを綴らせていただきました。
おばあちゃん、有難う。今もずっと大好きです。
miholo